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「知水」ということ

代表取締役所長  山本 耕平


 30年くらい前、駆け出しのコンサルに転職したばかりの頃、総合研究開発機構(NIRA)の研究助成費をもらって「都市河川の再生と市民参加の研究」をやった。都市河川というのは市街地を流れる中小河川という意味で、当時ようやくその再生に関心が向けられ始めた頃である。

 当たり前のことであるが、都市のさまざまな問題解決のためには住民の理解と行動が不可欠である。この研究では市民が都市河川の再生に向き合うきっかけとしてどのような活動が行われているかを調査するとともに、実際に住民が「汚い川」として敬遠している河川との距離を近づける工夫をしたら、意識や行動がどう変わるかを調べた。

 この研究は実は「川そうじの研究」と呼ばれた。市民が都市河川と関わりを持つ手段を調べるうちに、河川清掃がとても重要な意味を持っていることに気づいたからだ。そこで実際に、ある自治体で河川清掃を行ったり、台所からにょきにょきと護岸に突き出している排水パイプにパンストをとりつけて、各家庭がどれくらいごみを河川に流しているかを見えるようにしたり、住民が河川に目を向けるきっかけをつくった。関心を持ってくれた住民をオルグして「○○の川をちょっとずつきれいにする会」(一気にきれいにはならないという意味で)という看板を掲げた。住民には申し訳ないが、一種の社会実験として行ったもので、住民の関心を呼び起こせば行動につながるというのが研究のキモであった。

 97年の河川法改正以前は、河川管理者と住民が同じテーブルで何かをするということはほとんどなかったが、こうした活動をとおして河川で公民が協働できることも明らかになった。このときのコンセプトのひとつが「知水」という考え方である。「市民自身が水を知ること(知水)が河川における市民参加の基本である」と当時の報告書に書いてある。このキーワードは今もとても大切だと思う。

 私は20数年前に地元の横浜で「鶴見川を楽しくする会」(きれいにする会ではない!)の立ち上げに参加し、その後「雨水市民の会」の理事として活動している。鶴見川は「汚い都市河川」の代表格と見られていたが、ボートやイカダを浮かべたり、ハゼ釣りをして天ぷらにして食べたりして鶴見川のことを知るうちに、私にとってはどんな河川より愛着のある川になった。

 雨水は3.11の原発事故で放射能に汚染されたイメージが広がってしまったが、雨は汚れを洗い流す役目を果たしてきたはずだ。豪雨災害も頻発して、どうも雨のイメージが悪くなってしまった。日本語には数え切れないくらい雨に関する言葉があり、昔の人は雨のことをよく知っていたが、われわれは雨のことを知らなさすぎる。

 私は「日本トイレ協会」の立ち上げにも参加し、しばらく事務局長をしていたので、水洗トイレのその先の問題にも関心がある。トイレも水とは不可分の関係だ。

 私自身は水や河川の専門家ではなく門外漢だが、上述のようにこれまでいろいろなところで水と関わりを持ってきた。水は知れば知るほど面白い。縦割りの水政策から、これからは水循環という視点がきわめて大事になる。「知水」こそが、その出発点である。