これまでの取り組み

ニュースレター Vol.9

散乱のない快適なまちづくりのために

盛岡 通 (大阪大学工学部地球総合工学部教授)
   

 「まち美化連絡会議」では、昨年11月に「第4回全国まち美化シンポジウム」を、仙台市との共催で開催いたしました。基調講演は大阪大学教授の盛岡先生のお願いしました。講演は過去の散乱問題から今後の展開までさまざまな角度でお話くださいました。
 その内容の要約を今回と次回の2回に渡りご紹介します。

●環境づくりの半世紀

 今年はある意味で20世紀の最後の年でもあり、環境への取り組みの半世紀を振り返ってみてはどうかと考えています。かつては環境問題というと、産業公害という側面があり、80年代に入ってようやく私たちの身の回りの生活環境を見つめ直す動きが生まれてきました。これは、高度成長から生活の実現へと、基本的なベクトルが変わったことと関連しています。ごみだけでなく、大気や水の汚染も豊かな生活から出たもの、無秩序な市街地の拡大から生まれてくるということで、取り組みの主体が市民中心に、事業者の自主的な参加に、という方向に変わりました。

 

@散乱の被害をなくして心地よい空間をつくりたいという側面
 公共空間への散乱ごみということで、被害や影響を受けた人たちの問題提起が続いています。

 

A地域社会の環境を良くしたいという主体側の働きかけという側面
 30年前は京都の市電の線路まで箒で掃いていました。「公共空間」と「私」との境が連続していました。その中で関わり方が生まれる世界がありました。

 

Bポイ捨てするという加害者が存在するという側面
 散乱ごみが生まれるということは、マナーということも考えられますが、一方で現在のような消費社会では捨てるという行為が全体の中のどういったシーンで行われているのかを見ないと議論できません。

 

C捨てられ易いものを売るという側面
 すぐに捨てられることを意図した商品は一般には少ないのですが、一部はすぐ散乱にまわされるものもあります。これは社会的な責任があるのではないでしょうか。

 

Dメーカーの立場からの側面
 やがて消費材はリサイクルしないといけないという社会が迫ってきています。家電リサイクル法、来年は建設副産物のリサイクル方が成立する方向に進んでいます。すなわち循環型経済、ドイツ型の社会に向かうということです。

 

この5つの立場はさらには、「私たちの環境を豊かに、美しくするという側面」と「暮らしの中で生み出されてくる廃棄物をいかにリサイクルしていくかという空間の問題と製品の流れという側面」の2つから捉えなければならないと思います。

●生活空間の見苦しさに取り組む

 生活空間の見苦しさにどう取り組んでいくのかを被害者側から考えてみます。
 一番目は「コミュニティの清掃」で、地域の諸団体にとってこれが最も重要なポイントです。
 二番目は「観光地のクリーンアップ」で、一時はドラスティックな検討がされたわけですが、最終的には地域の諸団体の参加によってクリーンアップしていこうという方向で進められているようです。
 三番目は「海岸のクリーンアップ」で、この行動を高く評価したいのは、クリーンアップの過程で参加者がどんなごみが漂着しているかを分類しながら学ぶ好意が素晴らしい。ごみがどこから漂着したかを世界に発信していく、そんなネットワークをつくるという新しい展開を生みました。
 四番目は「道路のクリーンアップ」で、道路のクリーンアップには管理者の主体的な役割が必要ですが、町村道のように道路巾によっては交通量が少ないので、クリーンアップは周辺の地域社会の自主的な取り組みが多い。国道級になると清掃活動も危険を伴いますので対応しにくいところがあります。アメリカ等で展開されているアダプトという制度は大変興味深いもので、この制度は地域の道路を区切って、私たちがここをきれいにしたいという宣言をします。宣言することによって内外に活動を認知してもらうと同時に、それ自身が自分たちの誇りになる運動です。
 五番目は「里山や近郊行楽地のクリーンアップ」です。近年は里山等に捨てられるごみは空き缶等より建築副産物が多いです。神戸六甲山でのクリーンアップでは、販売店や交通機関など、前関係者が参加する運動として行われました。
 こういう点から21世紀に向かって、取り組みが益々多様化していくことは間違いないと思います。美しくしていくということが原点にあることは間違いないことです。同時に次の3点も重要でしょう。
 一つは、それぞれの生活空間のあり方や暮らし方についての関心が益々深まっているということです。だから環境美化をする空間に私たちがどういうこだわりを持つのかということが問われているのです。それは同時に暮らし方という面で見ると、物質文明に対する問いかけにも繋がっています。
 二つ目は、行政境界を超えたり取り組みとか道路によって繋がった2つの地域が一緒になって取り組む回廊性です。クリーンアップキャンペーンの中でもビーチクリーンアップというのは海岸線は決して行政界でとりません。宍道湖のクリーンアップキャンペーンは松江市以外の市町村とも連携しながら進められています。この回廊性は国土計画の立案の際に地域連携軸に沿って、クリーンアップキャンペーンを強化していこうということと繋がってきて取り組み自体を多様化するのではないかと思っています。
 三つ目は、各主体がそれぞれの立場の方が参加する方向に広がってきていることは間違いないことです。

 

●掃き清める暮らし方にとって

 掃き清める暮らし方において、被害者意識だけでいいのかという問いかけです。すなわちその空間を維持するのは一体誰なのかということで、現在の散乱ごみの主たる分野が公共空間に移ってきているということは特徴的だと思います。誰も管理しない公共空間こそ実は地域の主体である市民、事業者、自治体の連携によってきれいにしていくところだという意識を、この掃き清める暮らし方にとってという立場から追及していくべきではないかと思っています。いわゆる「私」と「公」の中間地帯をどうやって自分の物にしていくかということです。この点では散乱ごみの問題と同時に例えば生垣の緑化、緑と花を育てながら我が町を美しくしようという運動として広がっていくことが大事ではないでしょうか。それが、我々の暮らしを支える地域づくりとして散乱ごみからスタートした環境づくり運動という方向ではないかと考えています。

 

●投げ捨てるマナーや行為にとって

 我々の社会はまだ農村社会から年社会に移って、一部を除けばほとんどまだ50年ほどしか経っていません。捨てたものが分解されていくことは農村社会では有りえたことですが、農村的なスタイルが都市化しても続いていることを20世紀末には総括しておく必要があります。都市の形成と共に、捨てるのではなくて、運び出すことが廃棄物の対策の中では当たり前のようになってきました。ごみ箱を置いて回収することは言いかえると回収する誰かがいるということで、そこには費用がかかるということです。持ち帰る運動・持ち帰る人に比べてある意味では甘えを放置したままです。
 例えばディズニーランドは美しい空間を楽しむというコンセプトですから、外から容器や弁当を持ち込むことを許容していません。このことを現在、2005年で計画されている愛知博覧会の時に導入したいと考えています。散乱ごみを徹底的になくすためにはどうしたらいいのか、ごみ回収にかかるコストを他人任せにする社会と決別するにはどうしたらいいのかをも議論しています。リターナブルも含めて議論しているのですが、ある地域を区切ってこのような持ち込みを禁止する難しさがあって現在も検討中です。空き缶などのポイ捨ての問題を議論した時に常に問題になるのは廃棄物処理法の違反とどちらが重いか、大量のごみを捨てる行為に比べて、空き缶などを捨てるというポイ捨ての行為が罰則規定までして推進してもいいのかという話です。そういう中がらポイ捨て禁止条例が80年代から試みられてきました。(次号に続く) (文責:事務局)